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河野 通直(こうの みちなお)は、伊予国の戦国大名河野氏の当主。 河野通宣(刑部大輔)の嫡男で永正16年(1519年)、父の死去にともない家督を継いだ。天文9年(1540年)には室町幕府御相伴衆に加えられる。自身に嗣子がなかったため、娘婿で水軍の頭領として有能であった村上通康を後継者に迎えようとしたが、家臣団の反発と、予州家の当主・通存(みちまさ、河野通春の孫)と家督継承問題で争ったため、通康とともに湯築城から来島城へと退去することになる。その後、家督を通存の子通政に譲って権力を失うが、通政の早世後には河野家の実質的な当主の座に復帰する。なお、その後天文末期には通政の弟である通宣とも家督を巡って争い、最終的には村上通康にも見捨てられる形で失脚したとする見方もある〔西尾和美「戦国末期における河野氏権力と来島通康」『戦国期の権力と婚姻』清文堂出版、2005年〕。 近年の研究において通康と当主の座を争い、従来予州家当主と言われてきた通政(後の晴通)及びその弟である通宣はともに通直の実子である可能性が高いことが証明されつつある。 また、来島騒動と呼ばれるこの争いの背景には単なる家督相続争いではなく、大内氏、大友氏、一条氏、尼子氏、安芸武田氏などが絡んだ当時の瀬戸内での権力闘争が河野家内部での外交方針の対立という形で投影されたものと言える。 == 脚注 == 〔 みちなおた category:戦国大名 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野通直 (弾正少弼)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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